10年後の自分との葛藤
合同企業説明会に行った時の話。
大手企業内定者などから業種や職種の絞り方や面接での心構えなどを聞く機会があった。たくさんの人が話す中でも、某大手外資系企業で働いている30代くらいの男性社員が話す内容に特に引っかかった。
外資系勤務とあって、スライドも英語のことわざとか決め言葉なんかが沢山出てきました。その中で"Opportunity to decide next 10 years"と言う言葉があり、前後の文脈を含めてまとめると、自分が入りたいと思える企業を見つける為にはまず、あと10年後に自分がどういう風になりたいかを考えようということです。
こんな言葉を聞いてしまうと、普段僕の心の奥底に封じ込めている「こまった君」が表に出て来ざるを得ません。
その人は会社から責任と共に大きな資金を預かりながら、世の中に自分が考えた商品やサービスをもって仕掛けることができることに充実感と幸せを感じているそうです。一般的に見るとかなり幸せな生活であることは間違いなく、上位数パーセントに含まれるほどの給料を貰っていることがそれを裏付けています。
しかし、僕のような捻くれ者は幸せになりたいと願っているし、給料が多いに越したことないということを理解しつつも何か違うのではないかとまた悩み始めるのです。大企業は当然華やかな世界であると思いますが、幼い頃から勉強第一という風に育てられつつも、そのヒエラルキーの中で中位層に甘んじてしまった僕からすればこの先も同じように進んでしまったら、これまでから現在と変わらぬ位置のまま歳をとっていくことになるのです。
初めは人と同じことをしているつもりはなかったけれど、気づけば人と同じことしかできなくなっていた僕。自分の殻を破るために大学生になってから人と違うこと、それだけをアイデンティティとしていた痛い自分はもう後戻りができないくらい、周りと同じでは心の底から幸せだと感じられなくなったのかもしれない。
日常と他人の距離感
僕の性格は良く言えば興味の幅が広い、悪く言えば飽き性。物は言いようであるが、一度経験する程度なら大抵のことは誰にでもできるので、何事も継続することが重要である。
彼女と
僕は今もの凄く彼女が欲しい。
彼女いない歴=年齢というお話はもはやネタの旬を過ぎ、そろそろ言葉の本格味が出るような時期に差し掛かってきている。
みんなが通っているレールから一度でも脱線してしまえば、急停車する訳にもどうにもしようがなく道無き道を孤独に歩んでいく他ない。
大学入学当初までは言われのない寂しさを感じていて、逃げ出したい気分だった。しかし、1年前くらいからひとりでいることに対する耐性が出来上がってしまい、以前ほど寂しさを感じなくなってしまった。そうにでもならなければ、華やいだ大学という環境から早々にリタイアしていたことだろう。
そんな僕がなぜ彼女を欲しがっているかというと、最悪な話だが間違いなくセックスがしたいからだ。女の子とデートスポットっぽい所とかに行ってみたい気もあるっちゃあるが、それ以上にセックスしたい欲が上回っている。
本来はこの人と一緒にいたいという感情が生まれて、付き合いたいと思うのが普通だと思う。でも世の中にはそれほど好きじゃないにも関わらず、お互いの利害の元に付き合っているという場合もある。ほとんどがそうだと思っている。男女の付き合い方には一様に形がある訳ではない。
中高生の頃は、この人と付き合いたいなあと純粋に思っていたが、現在はもうそんなにときめく人は周りにいないし、誰でも良いという感じだ。心の奥底では本当に気の合う人と付き合いたいと願っているのだが、もうそう言ってられる状況ではないのだ。
撮られるのは苦手、だけど撮りたいものがある
自分の小さい頃の写真を見てみると、比較的よく笑っているものが多い。家族旅行の写真や自宅での写真では我ながらいい笑顔をしていた。しかし、他人に見られているという自意識の高さから、運動会などの学校行事では笑えてないものが多い。今となっては周りなんか気にせず笑っとけよ。と思わなくもないが、20歳になった今でさえ写真を撮られるときに笑顔を上手く作れない。
写真だけでなく、普段から「何考えてるかわからない」とか言われることが多い人生だ。中学生や高校生の思春期真っ盛りの時期はそれでも良いと思っていたし、人から言われるほど笑えてない顔をしていると自覚していなかった。怖い顔と言っても表情がノーマルなだけで、それは真顔であるのでこれを否定されてもどうしようもないよ。という風に考えていた。
写真を撮られるときは後で見返すときに恥ずかしくないように笑おうとするが、笑顔を意識すればするほど、顔の筋肉がこわばってどうしようにも恐ろしい表情になってしまう。
そのためか、中学生から今までの自分を写した写真の数が普通の人より圧倒的に少ないと思う。僕の世代はほとんどの人が中学生のときからカメラ付ケータイを持ち始めてその後スマホへと切り替えて、それと同時にSNSの普及も伴い、撮った写真をシェアするという習慣が根付いている。
写真を撮っておきたいという気持ちもあるが、それに写った自分の顔を見るのに慣れていない。顔にめちゃくちゃコンプレックスがあるわけではないはずなのだが、おそらく笑顔に自信がないためだ。自分の顔をそれだけ厳しく評価するくらいなので、自分のことを棚に上げて他人をも顔で判断してしまう節がある。
そんな話はさておき、数日前に一眼レフを買いました。予算の関係もあり、本体とレンズの二つとも中古品を選びました。今後にカメラの話も書いていくと思うので、何を買ったかだけ紹介します。
拾い画ですが、CanonのEOS 5D(初代)です。本体のみは約4万円くらいで購入することができました。同モデルの最新機種のEOS 5D Mark IVから比べると画素数やセンサー性能も劣りますが、フルサイズの一眼レフを持ってみたかったのでこれを選びました。動画を撮ることはできませんが、コンデジよりかは綺麗かつ、ボケ感のある写真を撮ることができます。
簡単でしたが、以上です。また、同時に買ったレンズと撮れた写真を載せれたらと思います。
基本情報技術者試験にギリギリで合格した話
今年4月に受験した基本情報技術者試験に合格したお話です。
1.基本情報技術者試験(FE)とは
基本情報技術者試験(Fundamental Information Technology Engineer Examination)は経済産業省が行う国家試験「情報処理技術者試験」の一区分のことです。
「情報処理技術者試験」は下図のようになっており、中でも基本情報技術者試験はベンダにとって最も基本的な知識と技能が問われる試験です。
2.試験の動向と受験する意味
基本情報技術者試験の試験自体の目的は高度IT人材となるために必要な基本的知識・技能をもち、実践的な活用能力を身に付けた者を認定することです。
この試験が始まった当初は、アルゴリズムやプログラミングの問題が割合多く出題されるような理系向けの試験だったみたいです。
2008年以降から試験形式が変更され、マネジメント分野から多く出題されるようになったり、プログラミングの出題数が1題に減ったりなど理系向けの試験から文系有利な試験になりました。
文系である僕には喜ばしい出来事だと思えそうですが...
しかし、逆に言えばアルゴリズムやプログラミングについてあまり理解していない人でもこの資格を保有しうるということです。そのため、理系か文系かでこの試験の価値は変わってしまいます。
理系出身者の場合、この資格を持つことで企業のマネジメントやマーケティングにも一定の知識があることをアピールできるので、文系出身者と比べた際の見られ方には違いがありそうです。
以上のことを踏まえた上で、僕がなぜこの試験を受験したかというと、文系でありながら情報系のゼミに入っていることとその活動の証明をする一つの証拠として残したかったわけです。
まあいえば、就活の面接のお話づくりのためです。(笑)
3.学習期間と教材
僕が申し込みをしたのは2月初旬でしたので、約2か月間の勉強で合格したことになります。これは大学で情報系の授業を履修して、ある程度の予備知識があったのでそこまで詰めて勉強しなくても合格することができました。資格試験の特性上、そこまで深い知識を問われるものでなければ、広く浅く勉強して合格ラインの6割を超えるということはよくあることです。
実際にITの分野で働きたいなど、実務で必要ならば徹底的に勉強するべきですが、僕の場合はそういう目的ではなくとりあえず資格という形が欲しかったのでサラッと勉強するだけに留まりました。(良くないけどね!笑)
僕が購入して使ったテキストはこの一冊。
イラストがたくさん使われていて、感覚的にわかりやすい。
説明が不十分とか、内容が狭いなど批判もありますが、合格ラインを超えることはこれでも可能でした。
さすがに問題形式を知らずに受けるのはあれなので、過去問をこちらのサイトからダウンロードして昨年分だけ解きました。
4.試験結果
最後に、こちらが試験結果でございます。
恥ずかしいくらいのぎりぎり具合ですね。笑
カンソウ日記 vol.2 『美女と野獣』
1.作品紹介
ダン・スティーヴンス演ずるひとりの美しい王子が、呪いによって醜い野獣の姿に変えられてしまう。魔女が残した一輪のバラの花びらがすべて散る前に、誰かを心から愛し、愛されることができなければ、永遠に人間には戻れない。呪われた城の中で、希望を失いかけていた野獣と城の住人たちの孤独な日々に変化をもたらしたのは、美しい村の娘ベル(エマ・ワトソン)。聡明で進歩的な考えを持つ彼女は、閉鎖的な村人たちになじめず、傷つくこともあった。それでも、“人と違う”ことを受け入れ、かけがえのない自分を信じるベルと、“人と違う”外見に縛られ、本当の自分の価値を見出せずにいる野獣──その出会いは、はたして奇跡を生むのだろうか…?
(公式サイトあらすじより)
2.観た日時
17/5/9
3.カンソウ
ディズニーの実写映画が数年前からよくリリースされていますが、僕はディズニー映画をディズニー映画と意識して観に行くことがあまりありませんでした。
パイレーツオブカリビアンなんかはオープニングを観た時に初めてディズニー制作だと知るといった具合で、あれはここやこれはどこと制作会社で映画を観るか否かを決めるような玄人では全くありません。
美女と野獣の原作は1740年フランスのヴィルヌーヴ夫人により書かれた異類婚姻譚のひとつであります。
また異類婚姻譚とは人間同士の結婚ではなく、人間(美女)と人間以外の何か(野獣)と結婚する説話の総称だそうです。
主に神話や童話の話によく出てくるようで、その派生としてケンタウロスとか鳥人のような人間と人間以外の何かとのハーフを題材にした異常誕生譚があるようです。
僕自身、童話や神話に興味があるものの、幼い時に童話をあまり読み聞かせられなかったせいかこういう類のお話をテーマにした映画に行こうと思うことがほとんどないのですが、友達に誘われたので観に行ってきました。
映画のストーリー自体は多くの方がご存知の通りだと思うので、ここでは触れません。そこに主役であるエマ・ワトソンが村一番の美女として映画を引き立たせています。
僕にとっての勝手な彼女のイメージはハリーポッターのハーマイオニー・グレンジャーしかなく、というかハリーポッターでしか観たことないかも。
なんやかんやで野獣と化した王子がいるお城のもとにまあ美女が行くわけですが、荘厳なお城にいるエマ・ワトソンという構図はホグワーツ城にいるハーマイオニーのそれとぴったり重なるのです。
それ以外の感想はというと、時々変わる野獣(王子)の服装の可笑しさとかしか残っておらず。
もうエンディングの話ですが、最後にスタッフクレジットとともに流れる歌が1991年に公開されたディズニーアニメ映画の主題歌と同じものなのです。
まあ、下調べゼロで劇場に行ったので観た後に知ったんですが…
アリアナ・グランデ(Ariana Grande)とジョン・レジェンド(John Legend)の二人が歌うBeauty and the Beastがそれはそれは良いのですよ。
字幕版を観たので歌詞の和訳が右側に出るのですが、まあいいこと。泣ける人は泣けると思います。ディズニー映画の良さが少しわかった気がします。
いい映画であったと感じるかどうかはそのときの心の状態が大きく関わっていると思います。
心が荒んでいるときに観た映画どんなものでも心に響くものです。琴線に触れない映画に出会ったとしても、それはそれでいいのです。
みなさんが最近観た映画は何ですか?またその感想をコメントで教えてください!
ゼミを選ぶ際には
僕は人に好かれやすい人間ではない。好かれる人のその所以は僕の知るところでない。
自分に対する他人の評価を知ることはあまり簡単なことではない。言わないと伝わらないというのもわかるが、伝わらなくても行動として出てしまうこともある。好きや嫌いの感情は人はなんだかんだで他人から読み取ってしまうものだ。
それほどに強い感情であるということと、人生における人間相互の関係性の重要性から他人から嫌われることを知ると、それなりに堪えてしまう。
僕は今、大学3年の春を迎えゼミ参加から半年程経ったのだが、辞めたい気持ちと辞めてたまるかという気持ちのせめぎ合いを毎週のゼミ授業ごとに繰り返している。
研究分野という言葉が当てはまるようなしっかりとした活動はしていないが、経済学部にいながら経済そっちのけでITについて学んでいる。産業分析とかそういう経済に絡めた話は一切なく、情報学部と同じようなことをしているのです。
なんでこのゼミに入ったかとか具体的な内容とかの話はまた今度、別の記事に書こうと思うが、僕が選んだゼミは同一分野を研究するゼミの中では実績、人気ともに3つあるうち2番目という立ち位置であった。
3つのうち2番目というのを聞くとまあ、悪くないんじゃないの⁇と思われるかも知れないが、経済学部でありながら情報学部の真似事ようなことをしているゼミを選ぼうという学生はそう多くなく、定員をある程度満たしているのは1番人気のゼミと僕の入っているゼミだけ、3番人気のゼミは定員を大きく下回っている状態なのです。
学部内での評価はそれほど良くないIT分野も企業側からの評価はある程度良いらしく、就活を目論んでのゼミ選択という学生の思惑も当然生じる。そして実際、IT分野内での1番人気のゼミには意識高い系の学生(全く悪意のある意味では使っていません。)や本当にガジェットに詳しい学生なんかが集まる素敵な場所なのです。
そんな素晴らしいゼミを横目に見ていた2年生時点、僕は2番人気のゼミを選択してしまうのです。選考でも通って当たり前のゆるい面接を経て、無事や災難か、このゼミを第1志望で決めてしまうのです。
そして初めてのゼミ生の顔合わせで担当教員が発した言葉「みんな一緒に卒業できるように協力しましょう。」な、なんとこのゼミに集まった学生の7割は単位落としまくり、GPAが4.0点満点中1点、もしくは0点台という酷い有様だった訳です。
とはいっても、教員は毎年シラバス通り進めなければ自身の首を締めることになるので、それなりの内容をグループ形式のプレゼンで求めてくるのです。
単位を取れないような者がグループの人数としてカウントしても、1人分の力もないので言わずもがな、できる人間がその分の負担を背負うことになるのです。
まあ悪口を言い出したらきりが無いので辞めますが、人気のないゼミには教員含めそれなりの理由があります。これからゼミ選びをする方のうち意欲のある学生に助言するとすれば、人気ゼミには一回受けておけということです。
ゼミだけでなく何に対しても言えることですが、理想と現実のギャップにいつも苦しめられます。吟味した上で良いと思って入ったゼミも実際はそうでなかったり。仲良くなりたいと思ってた人がした意外な行動にガッカリしてしまったり。映画館で女の子と見る映画に限って1/2の確率でハズレだったり。
ちょっと違うか笑
僕はあらゆるものに期待をすぐ抱いてしまう。で、自分の思い通りにならず勝手に悲しくなる。
自分中心の自意識の高さは相変わらずである。