ストレートネッカーのブログ

私立文系の大学生(ハタチ) 主に映画、アウトドア、語学、禁欲について書いています

日常と他人の距離感

僕の性格は良く言えば興味の幅が広い、悪く言えば飽き性。物は言いようであるが、一度経験する程度なら大抵のことは誰にでもできるので、何事も継続することが重要である。

 
 
 
僕がされて困る質問の一つに「普段何してるの?」というのがある。この質問に対して真面目に答えると、勉強をする気になれない日は基本的にyoutubeを見続けている。その他はブログを書いていたり、週2でジムに通い、たまにカメラを構えたり、読めずに溜まっている雑誌を読んだり、はたまたテレビで野球を見たりと全て説明するとかなり雑多な生活なのだ。この日は〇〇をしたということがなく、友達と遊んだ日でも説明するとなると特に印象に残ることがなかったように思ってしまう。
 
 
 
そのために、人に話すとなるとありのままを話すのは気が引けてしまう。等身大の自分を見せることでより親しい関係になる場合もあると思っていても、どこか自分を出せず特に何もしていないみたいに話してしまうのだ。
 
 
 
日常に対する記憶力があまり良くなく、小さい頃から「勉強しろ勉強しろ」と育てられたので急き立てられてるかのように勉強のこととか雑学みたいなことを頭に入れたがる性格になってしまった。
毎日の出来事を面白おかしく人に話したいが、そういうときにも何も出てこない。しょうもない人間だ。
 
 
 
だからこそ人よりも生きている意味とか生まれた理由とかをついつい考えてしまうし、何をもって幸せな人生であるのかを適当でもいいから教えてもらいたい。
 
 
 
大して何もない、何も思い出すことのないような日々を生きている今に果たして意味があるのか。もっと生きるスピードを下げ、詰め込みすぎる性格を変える方が僕にとっての幸せに近づけるのかも知れない。