ストレートネッカーのブログ

私立文系の大学生(ハタチ) 主に映画、アウトドア、語学、禁欲について書いています

映画カンソウ記 vol.4 『海街dairy』

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1.あらすじ

 

 湘南を舞台に、異母妹を迎えて4人となった姉妹の共同生活を通し、家族の絆を描く。鎌倉に暮らす長女・幸、次女・佳乃、三女・千佳の香田家3姉妹のもとに、15年前に家を出ていった父の訃報が届く。葬儀に出席するため山形へ赴いた3人は、そこで異母妹となる14歳の少女すずと対面。父が亡くなり身寄りのいなくなってしまったすずだが、葬儀の場でも毅然と立ち振る舞い、そんな彼女の姿を見た幸は、すずに鎌倉で一緒に暮らそうと提案する。その申し出を受けたすずは、香田家の四女として、鎌倉で新たな生活を始める。

 

 

2.観た日時

 

2017年5月頃

 

 

3.カンソウ

 

ほのぼの系。この表現で説明がつく映画だと思うし、この手の作品が映画に限らず大好きだ。スペクタクルな出来事やサッドネスな感情も日々の生活には頻繁には起こらないけれど、小さな喜怒哀楽によって彩られた毎日は死ぬまで続いていく。そんな変わり映えのない日常だからこそ人は100年間も生きていられると思うし、他人目からすれば変わり映えのない日常もその人にとっては素敵な1日の積み重ねであることもあるからとても不思議だ。

 

この映画に登場する4人の姉妹は鎌倉の古民家で暮らしているのだが、その趣ある感じ+美人4人姉妹という構図が素晴らし過ぎるのである。中でもすずぽんが何というか天使なのです。サッカーしてるときの髪の結びとか、いろいろ。真似して梅酒作りたくなるわ!

 

時間に追われて苦しくなっている人がいたら観てみてください。

 

 

海街diary

海街diary

 

 

語学の単位とは

大学生としての3度目の夏休みを目前にしたこの時期、私はテスト勉強に追われている。しかし、1、2年の時から無難に単位を獲得していたお陰か、大した緊張感はない。

 

 

とは言いつつも、大学卒業のために闇雲に単位数を稼げばいいという訳ではなく、それなりの要件が存在する。例えば、専攻別の必修科目の単位数とか、語学の単位数はなんぼ。とか

 

 

そんな私は英語の単位数がまだ足りておらず、今後英語の授業を受けるか英検、TOEICなどの検定試験をもって単位を取得する必要がある。

 

 

英語の授業を受けるのが一番リスクない選択だと思うのだが、語学の授業特有の少人数な感じが毎週のストレスになりそうなのと、語学の授業は1クラス1単位であるから2単位足りていない私の場合、2クラスも受ける必要があるので気が引ける。

 

 

そこで英検もしくはTOEICで語学の単位を埋め合わせようと目論んでいる。というお話である。

 

 

私の大学の場合、卒業要件を満たせなかったことによる留年の一番の要因は語学の単位数であるという。語学科目のせいで内定取消などという事態にならないよう気をつけたい。

映画カンソウ記 vol.3 『エクス・マキナ』

 

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1.あらすじ

人間か、
人工知能か――

検索エンジンで有名な世界最大のインターネット会社“ブルーブック”でプログラマーとして働くケイレブは、巨万の富を築きながらも普段は滅多に姿を現さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に1週間滞在するチャンスを得る。
しかし、人里離れたその地に到着したケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット“エヴァ”に搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも不可思議な実験だった・・・(映画公式サイトより)

 

2.観た日時
2017年5月28日
 
3.カンソウ
46億年前に地球を含めた太陽系が生まれてから様々な生物の絶滅を繰り返して、約3万年前に現在の人類が誕生したといわれている。
 
2世代くらい前の自分の先祖は人伝いでも、写真を通してでもその存在は感じられるが、それ以上遡って100年も前になるともはや分かりようがない。
 
歴史として伝承されたものに間違いは付き物だが、過去を一様に定義しておくことはその正確さのためというよりもある種神話やなにかの教典と同じような意味があると思う。
 
この映画では、ブルーブックという検索エンジンから集めた人間の衝動的、感覚的、かつ不完全な思考をAIに搭載することで、これまで超えることができなかった自意識の壁を突破する。
 
ブルーブックの開発者であるネイサンはそんなAIに淘汰されていく人類の未来を回想する。
 
地下から一度も出たことがないAIはケイレブを唆かし恋愛感情を抱かせることで脱出を図るのだが、そこには人間が抱く感情の矛盾や不完全性が顕著に表れる。
 
あらゆる人間の思考や欲望を知り尽くしているAIに対して人間はどうして恋愛感情を抱かずにいられるか。人間と見分けが付かなくなった無機質なロボットと人間の違いはどこにあるのか。
そんなことを考えさせられる映画でした。

amzn.to

10年後の自分との葛藤

 

合同企業説明会に行った時の話。

 

 

 

大手企業内定者などから業種や職種の絞り方や面接での心構えなどを聞く機会があった。たくさんの人が話す中でも、某大手外資系企業で働いている30代くらいの男性社員が話す内容に特に引っかかった。

 

 

 

外資系勤務とあって、スライドも英語のことわざとか決め言葉なんかが沢山出てきました。その中で"Opportunity to decide next 10 years"と言う言葉があり、前後の文脈を含めてまとめると、自分が入りたいと思える企業を見つける為にはまず、あと10年後に自分がどういう風になりたいかを考えようということです。

 

 

 

こんな言葉を聞いてしまうと、普段僕の心の奥底に封じ込めている「こまった君」が表に出て来ざるを得ません。

 

 

 

その人は会社から責任と共に大きな資金を預かりながら、世の中に自分が考えた商品やサービスをもって仕掛けることができることに充実感と幸せを感じているそうです。一般的に見るとかなり幸せな生活であることは間違いなく、上位数パーセントに含まれるほどの給料を貰っていることがそれを裏付けています。

 

 

 

しかし、僕のような捻くれ者は幸せになりたいと願っているし、給料が多いに越したことないということを理解しつつも何か違うのではないかとまた悩み始めるのです。大企業は当然華やかな世界であると思いますが、幼い頃から勉強第一という風に育てられつつも、そのヒエラルキーの中で中位層に甘んじてしまった僕からすればこの先も同じように進んでしまったら、これまでから現在と変わらぬ位置のまま歳をとっていくことになるのです。

 

 

 

初めは人と同じことをしているつもりはなかったけれど、気づけば人と同じことしかできなくなっていた僕。自分の殻を破るために大学生になってから人と違うこと、それだけをアイデンティティとしていた痛い自分はもう後戻りができないくらい、周りと同じでは心の底から幸せだと感じられなくなったのかもしれない。

日常と他人の距離感

僕の性格は良く言えば興味の幅が広い、悪く言えば飽き性。物は言いようであるが、一度経験する程度なら大抵のことは誰にでもできるので、何事も継続することが重要である。

 
 
 
僕がされて困る質問の一つに「普段何してるの?」というのがある。この質問に対して真面目に答えると、勉強をする気になれない日は基本的にyoutubeを見続けている。その他はブログを書いていたり、週2でジムに通い、たまにカメラを構えたり、読めずに溜まっている雑誌を読んだり、はたまたテレビで野球を見たりと全て説明するとかなり雑多な生活なのだ。この日は〇〇をしたということがなく、友達と遊んだ日でも説明するとなると特に印象に残ることがなかったように思ってしまう。
 
 
 
そのために、人に話すとなるとありのままを話すのは気が引けてしまう。等身大の自分を見せることでより親しい関係になる場合もあると思っていても、どこか自分を出せず特に何もしていないみたいに話してしまうのだ。
 
 
 
日常に対する記憶力があまり良くなく、小さい頃から「勉強しろ勉強しろ」と育てられたので急き立てられてるかのように勉強のこととか雑学みたいなことを頭に入れたがる性格になってしまった。
毎日の出来事を面白おかしく人に話したいが、そういうときにも何も出てこない。しょうもない人間だ。
 
 
 
だからこそ人よりも生きている意味とか生まれた理由とかをついつい考えてしまうし、何をもって幸せな人生であるのかを適当でもいいから教えてもらいたい。
 
 
 
大して何もない、何も思い出すことのないような日々を生きている今に果たして意味があるのか。もっと生きるスピードを下げ、詰め込みすぎる性格を変える方が僕にとっての幸せに近づけるのかも知れない。

彼女と

僕は今もの凄く彼女が欲しい。

彼女いない歴=年齢というお話はもはやネタの旬を過ぎ、そろそろ言葉の本格味が出るような時期に差し掛かってきている。

 

 

 

みんなが通っているレールから一度でも脱線してしまえば、急停車する訳にもどうにもしようがなく道無き道を孤独に歩んでいく他ない。

 

 

 

大学入学当初までは言われのない寂しさを感じていて、逃げ出したい気分だった。しかし、1年前くらいからひとりでいることに対する耐性が出来上がってしまい、以前ほど寂しさを感じなくなってしまった。そうにでもならなければ、華やいだ大学という環境から早々にリタイアしていたことだろう。

 

 

 

 

そんな僕がなぜ彼女を欲しがっているかというと、最悪な話だが間違いなくセックスがしたいからだ。女の子とデートスポットっぽい所とかに行ってみたい気もあるっちゃあるが、それ以上にセックスしたい欲が上回っている。

 

 

 

 

本来はこの人と一緒にいたいという感情が生まれて、付き合いたいと思うのが普通だと思う。でも世の中にはそれほど好きじゃないにも関わらず、お互いの利害の元に付き合っているという場合もある。ほとんどがそうだと思っている。男女の付き合い方には一様に形がある訳ではない。

 

 

 

 

中高生の頃は、この人と付き合いたいなあと純粋に思っていたが、現在はもうそんなにときめく人は周りにいないし、誰でも良いという感じだ。心の奥底では本当に気の合う人と付き合いたいと願っているのだが、もうそう言ってられる状況ではないのだ。

 

 

撮られるのは苦手、だけど撮りたいものがある

自分の小さい頃の写真を見てみると、比較的よく笑っているものが多い。家族旅行の写真や自宅での写真では我ながらいい笑顔をしていた。しかし、他人に見られているという自意識の高さから、運動会などの学校行事では笑えてないものが多い。今となっては周りなんか気にせず笑っとけよ。と思わなくもないが、20歳になった今でさえ写真を撮られるときに笑顔を上手く作れない。

 

 

 

 

写真だけでなく、普段から「何考えてるかわからない」とか言われることが多い人生だ。中学生や高校生の思春期真っ盛りの時期はそれでも良いと思っていたし、人から言われるほど笑えてない顔をしていると自覚していなかった。怖い顔と言っても表情がノーマルなだけで、それは真顔であるのでこれを否定されてもどうしようもないよ。という風に考えていた。

 

 

 

 

写真を撮られるときは後で見返すときに恥ずかしくないように笑おうとするが、笑顔を意識すればするほど、顔の筋肉がこわばってどうしようにも恐ろしい表情になってしまう。

 

 

 

 

そのためか、中学生から今までの自分を写した写真の数が普通の人より圧倒的に少ないと思う。僕の世代はほとんどの人が中学生のときからカメラ付ケータイを持ち始めてその後スマホへと切り替えて、それと同時にSNSの普及も伴い、撮った写真をシェアするという習慣が根付いている。

 

 

 

 

写真を撮っておきたいという気持ちもあるが、それに写った自分の顔を見るのに慣れていない。顔にめちゃくちゃコンプレックスがあるわけではないはずなのだが、おそらく笑顔に自信がないためだ。自分の顔をそれだけ厳しく評価するくらいなので、自分のことを棚に上げて他人をも顔で判断してしまう節がある。

 

 

 

 

そんな話はさておき、数日前に一眼レフを買いました。予算の関係もあり、本体とレンズの二つとも中古品を選びました。今後にカメラの話も書いていくと思うので、何を買ったかだけ紹介します。

 

 

 

拾い画ですが、CanonEOS 5D(初代)です。本体のみは約4万円くらいで購入することができました。同モデルの最新機種のEOS 5D Mark IVから比べると画素数やセンサー性能も劣りますが、フルサイズの一眼レフを持ってみたかったのでこれを選びました。動画を撮ることはできませんが、コンデジよりかは綺麗かつ、ボケ感のある写真を撮ることができます。

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簡単でしたが、以上です。また、同時に買ったレンズと撮れた写真を載せれたらと思います。